青春18きっぷで山陽一人旅に出たって話。(一日目 夜 広島市)
宮島を出るフェリーの中、次の行先について調べておりました。
修学旅行で広島には訪れなかったので日本人として一度は訪れなければならないと
前々より考えていた場所です。
しかし、コロナの影響で臨時休館。
ほんま許さんぞあのウイルス
資料館の閉館時刻前に滑り込もうと必死で移動する気でしたが、ゆっくり動くことに。
この時点で調べておかない辺りの自堕落さがヤバい。
広島駅に到着し、移動中に読んでいた「死神の浮力」が残り数ページだったので、
駅前のジュンク堂により京極夏彦「塗仏の宴―宴の始末」を購入。
「宴の支度」の話にどうケリをつけるかが気になっていたので……量ありますし。
広島のジュンク堂はかなり売り場面積も大きく、蔵書数も豊富で非常に好みでした!
その後は、初めての街でバスに乗るのもちょっと違うなと感じたので原爆ドームまで歩くことに。
いや綺麗。
大阪の街ほど雑多な感じはしないし、中心部に川が流れているところがポイント高い。
京都と大阪と東京足して割った感じ?
ビルの間近に川があるっていう風景いいですよね。
なんともエモい。
初めての街って好奇心掻き立てられるから二キロぐらい平気で楽しく歩けますよね!
そして原爆ドームに到着。
あぁ……
「痛々しい」とか「やるせない」とか「辛い」といった言葉では片づけられないような何とも言えない気持ちになりますね……
この原爆ドームを見てどう思うのが正解とかはないと思うのですけど、戦争に対する
根源的な恐怖や人間同士が殺しあうおぞましさのようなものがこの場所に来ることで感じられたような気がしました。
想像の五倍近く生々しかったです。
折れ曲がって飛び出ている鉄柱や熱線により焦げた跡など……
特に崩れたガレキまで保存してあることに驚きました。
その残されたガレキが一層戦争の醜さや原爆の恐怖を醸し出しており、
私たちが忘れがちな「70年近く前に日本でも戦争があった」という事実を否応なく認識させられます。
一人の戦後生まれとして、このような戦争を経験された方には怖気が走るような建物を現在まで絶やすことなく保存された方々に感謝の意を伝えたいと思います。
いかに戦争や大量殺戮兵器による被害があってはならないことかを再認識させるため、ガレキまで保存されたことには執念すら感じます。
戦争に対する恐怖や、むごたらしさの象徴、完全なる負の遺産として末永く保存され、未来永劫多くの人に赴いてほしい場所だと感じました。
夕闇に染まるこの一帯の景色が本当に綺麗……
七十年前にこの辺り一帯が更地になったとは到底信じられません。
これが「平和の灯」です。
この世から核兵器がなくなるその時まで、消えることなく燃やし続けるそうです。
そのような日が来ることを祈念してなりません。
原爆死没者慰霊碑には、次のような文が書かれていました。
「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」
これが現在を生きる我々に課せられた使命だと思います。
静かに手を合わせ、その場を後にしました。
これで本日の旅程は終了です。
平和記念公園を離れた後は、1600円で泊まれるゲストハウスに宿泊しました。
一日目を振り返って、今日は記憶に残る一日になった気がします。
張り切って向かった厳島神社が鳥居改修中かつ干潮で残念だったこと、
牡蠣が想像以上に美味しかったこと、
そして原爆ドーム、慰霊塔などから想像以上のモノを与えられたことなど、語るに尽きない経験が得られました。
特に原爆に関するスポットは、夕方に行ったことや昨今の事情もあり、
非常に人が少なく思う存分七十年以上前の世界に没入することができました。
なかなかできない貴重な経験になったと感じます。
戦争と平和、現在の世界もこの狭間で揺れ動いているわけですが、
また世界がこの広島の人々の思いを裏切るような行動には出てほしくないと強く思います。
先人の方々、現代の私にまで通じる貴重な体験をありがとうございました。